越えるとか越えないとかそうゆう類いではなく、つまりそれは尊敬と言う事。


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越えるとか越えないとかそうゆう類いではなく

つまりそれは尊敬と言う事。

 

写真を生業として5,6年経過したワケですが

 

経験が増えれば増える程

 

気持ち悪いくらい

 

父親に似てきている自分が居ます。

 

今、僕が撮っているものと

父親が現役の頃撮っていたものは

 

ジャンルが全然違うのですが

 

感じ方

捉え方

 

また機材の選定基準等

 

教わったワケではないのに

僕は父親を後追いしてしまっている部分があります。

 

きっと世間ではこうゆうのを

 

「血だね」

 

とか

 

「蛙の子は蛙だ」

 

とか言うんでしょうが

 

まぁそうなんだと思います(笑)

 

カメラマンになりたての頃はワカリマセンでしたが

 

5,6年前よりかは多少撮れる様になった身として思うのは

 

父親の偉大さ。

 

そして素晴らしいカメラマンであったと言う事。

 

やればやる程、それを痛感していきましたし

今現在もそうです。

 

こうゆうのは言葉にするのが難しいんですが

 

何て言うか

 

越えるとか越えないとか

そうゆう類いではないんですよね。

 

だから同じカメラマンとして尊敬してるってのが

一番正しいのかもしれない。

 

僕も父親も

 

結構ひどいレベルで

 

人の言う事を聞きません。

 

そして敵は第三者ではなく

常に自分です。

 

昨日の自分、先月の自分、去年の自分。

 

そいつらを越える事。

 

だからライバルも目標にするカメラマンも

敵視する人物も居ないんです。

 

本来はそうゆうのが居て

燃えてる方がカッコいいんだと思いますが

 

何だかそう生きれないのが不思議なものです。

 

きっとこれも血でしょうか(笑)

 

僕はまだカメラマンになって

 

何かを証明出来たワケではないし

今後も出来るのかはワカラナイ。

 

でも後数年、続ける事が出来たとして

10年経ったくらいには

 

「あぁそうゆう事か」って

 

腹に落ちるものがあると嬉しいなって思うんです。

 

写真は他者との会話ツールと言うより

自分の内面との対話ツールな部分が僕の中では大きんですけど

 

そうゆうのも今後、感じ方が変わっていくんでしょうか。

 

5,6年やってもまだまだ

ひよっこですね。

 

ってな感じで僕はまだまだシャッター押していきます。

 

それでわまたっ