ボクらは平和ボケの世界で腐ってゆく。


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こちらでのお仕事も無事に終わり
先ほどホテルに戻りこれを書いています。

ドナウ川に行ったさい靴のモニュメント(銅像)が
沢山ありました。

これは

第二次世界大戦ユダヤ人が
ナチスの迫害により

後ろから銃殺され、沢山の方が
この川に沈んでいったそうです。

そして、これはそれを忘れないためのもの。

当時、生きていた彼らと
今を生きている僕ら。

同じ「生きてる」と言う単語でも
その意味合いはきっと正反対のものになるのだろう。

僕らは生きているのが当たり前だと錯覚してるし
そこに生活があるのも当たり前だと錯覚している。

全ては諸行無常で同じ場所、同じ人間と居ても
そこにあるのは全く別のもの。

日々の生活の中で、何を感じ、何を享受していくか
それを問いただした処で、明確な何かがあるワケではないが

きっと僕らの思考停止状態が続いていくなら
この平和ボケの世界でただ腐って死んでいくのだろう。

それが良い人はそれを選択すれば良いが
僕はゲロを吐くくらいイヤだなと思う。

写真は音もなければ画すら動かない。

記録媒体として、とても不完全で
全くもって時代遅れの産物だと思う。

映像に比べて

写真は明らかに嘘を付きやすいにも関わらず

「写真=真実を写す」

なんて言う日本人的な勝手な解釈にも
何処が嫌気がさしたりもするし

それが美徳だと言う様な思想にもゲンナリする。

5年間、写真の世界に身を置いて思うのは

あれは物事、事象に対する
ただのコピー、複写であって

別にそこに撮りての感情なんかはいらない。

相手側がそれをどう受け取ろうが
それは向こうの勝手だが

こんなもので、その人の人間性やら何やらまでも
計られたらたまったものではない。

でもそれでも、きっと僕はこれからもシャッターを
押していくんだと思うし

商いとしてもやっていく。

結果としてそれが自分や誰かを救う何かになるなら
尚更良いとは思うけど

それには少し時間がかかるのかなと。

こっちに来る前辺りから

自分の中の経済観念的なものが
少し変わってきたと言うか

そうゆうのもあるせいか

自分や周りに迷惑がかからないだけの
お金は必要だが

それ以上を求めても
何処か虚しくなるだけと言うか

下世話は話ですが

個人事業で月100万程度稼ぐと言うのは
さほど難しい事ではないと思う。

僕自身の実体験として

だから何?程度のものでしかなかった。

だから、もうそこを目指しても意味がない。

帰国してからやる事も沢山あるけど
しっかりと過程も楽しんでいきたいものです。

それでわまた

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